6月頃だったかな?
それはそれは何年かぶりに公園に行きました。7年くらい行ってなかったと思います。
その時に感じたのが
「え、遊具少なっ」
前々から減ってきてるなーとは思ってたけどまさかこんなになくなってるとは…。
もうまともに遊べるのが鉄棒と滑り台くらいしかなかった。
ジャングルジムは?回るジャングルジムは?ブランコは?
なぜこんなにも遊具が撤去されてしまったのでしょう。
遊具は撤去される一方で、公園の数は増加
これは都市公園の一人あたりの面積の推移をグラフ化したもの。
そうです。
遊具はないのに、公園は減るどころか増えてるっていうね。それもすっごい順調に。
なぜ公園は増え続ける?
どうして公園の数そのものが増えているか。
都市計画法施行令の第25条に
住宅地を開発したら
- 「0.3ヘクタール以上5ヘクタール未満に総面積の3%以上の公園を」
- 「5ヘクタール以上ならもっとでっかい公園を」
作りなさいという内容が記載されているからなんです。
簡単に言えば
「一定の広さにつき公園1つサービスしまーす」
っていうこと。
なぜ遊具は撤去されるのか
国土交通省が2013年に調査した結果では、公園内の「動く遊具」は年々減少。
- シーソー 1400台減少
- 回転する系 半分
※2018年現在はもっと徹底して撤去されていると思われます※
理由というのは当然のことながら「リスク回避」です。
毎年多くの子供が遊具によりケガをする。
中には死亡例もあるということで、2000年あたりから遊具を撤去する自治体が増えてきたそうです。
理由はもう1つ
「危ないから」という理由の他にもあるのが
「行政がもう遊具を置くのを嫌がっているから」
公園の遊具がこぞって設置されたのは1970年頃だったそうです。
今から30年以上前ですね。
そこで問題になってくるのが老朽化です。
老朽化した遊具を入れ替えて新しく設置すれば良いのですが、行政はこの動きにためらっているようです。
お金をかけてまで危ない遊具を入れ替えるのは意味がないと判断しているからでしょう。
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で、ここからが本題
簡単に言うと納得できないよねっていう話。
子供に遊具でのケガは必要です
ムリにケガをしろということではないんですけどね。
嫁さんの関係で周りには保育士さんが多いです。
子供と接する時間の長い人たちは口をそろえて言うことがあります。
「今の子供は暴力的」だと。
嫁さんの知り合いだからと同世代ばかりではありませんよ?
年配のベテラン保育士さんまでもがそう感じているそうです。
「痛い思いをしたことがないと他人の痛さもわからない」
今の世の中は危ないから、かわいそうだからと子供からあらゆるリスクを遠ざけます。
ちょっと話が逸れます。
聞いた話では運動会のお弁当も近年は給食という形で振る舞われているそうです。
理由は「親が来れない子がかわいそうだから」
それって子供のためになると思いますか?
くさいものに蓋をする発想ではないかなと。
生まれ持った境遇は変わらないし、だったら幼いウチから子供にそれを認識させるべき。
それによってイジメ等が起こるのであればそこで初めて大人が対応するのが筋ってもの。
もしかしたらイジメではなく、「一緒にごはん食べようよ」と言ってくれる家庭だってあるかもしれないのに。
私事ですが僕の家は超がつく程の貧乏だったし、両親は小学校の時点で離婚していたので運動会には祖父母が来てくれていました。
それでもバカにしてくる人間はいませんでしたが…。
「子供を守る」ことと
「子供を囲う」ことを一緒にしてしまっています。
リスクも危険も知らないまま育った人間は恐ろしいですよ。
公園から遊具を撤去した結果、人の痛みもわからない子供が増え、遊びに出かけることもなく友達と集まってゲーム(パソコン睨み付けながら言うのもなんですが)。
出かけた先もカードゲームの機械の前です。
子供を守り、健全に育てていると言えるでしょうか?
それらが全て良くないとは言いません。
一緒にゲームをすることも確かにコミュニケーション手段の1つでしょう。
バカみたいに遊具だけで遊んでいてもそれはそれで問題がありそうです(笑)
ですが、「なにをしたら危ないのか」「どうしたら痛い目に遭うのか」「相手はどれだけ痛いか」
それは身をもって体験しなければ絶対にわかりません。
死亡例には国を挙げて対処を
事故によりお子さんが亡くなられた方には本当に残念に思いますし、僕の言っていることに腹を立てるかもしれませんね。
それでも、「じゃあ撤去」という選択が正しいとは絶対に思いません。
「どうやったら亡くなるような事故が発生しないか」を考えるべきじゃないかな。
- 遊具の素材を鉄ではないものにしてみる
- 事故のあった箇所は徹底的にチェックし直す
- 必要であれば厳格なルールを設ける
- 角張った箇所にはクッションを増設する
- はさまれそうな箇所は空間を広く持つか逆に入れない程狭くする
頭の悪い僕でもいくつかのアイデアは出てきます。
なぜそれも考えずに撤去1択なのでしょうか?
行政のみなさんは、地域のみなさんは僕より数倍も賢いはずです。
お金がかかるから?管理するのが大変?
じゃあ公園の数を半分にしてくれれば良いのに。
なにもない公園がいくつもあるなら楽しい公園が1つのほうがマシです。
会社でも労災はおきます。
じゃあもう仕事をしませんか?
起きた出来事を教訓して、2度と起きないように改善するのが本来のあり方のはずです。
仕事だから別だって?
じゃあ子供を健全に教育するのは無価値、必要ないということでしょうか?
遊具で不幸にも亡くなられた子供は、何もない公園の乱立を望むのでしょうか。
何も置かなければ何もおきないだろう
確かにその通りです。
人生に何も起きない子供のできあがりでしょう。
子供のためでなく、事故があったときに責任をとるのが怖いからでしょう?
だから何もかもなくしていきます。
危ないから近寄らない。
問題が起きそうなところは排除。隠す。見えないようにする。
何が得られるのか考えてあげないで。
気をつけて下さい。そういう体質、やり方って子供に確実に引き継がれますよ。
何も遊具で遊ぶことを推奨しているわけではありません。
公園でスポーツをするのもいいでしょう。
鬼ごっこなんかもいいですね。
でも子供だけでそんな遊びをしているのを僕は見かけなくなりました。
道具も何もないところに行くよりもSNSを使っている子供のほうが多いでしょう。
時代といえばそうなのでしょうし、仕方ないことかもしれませんね。
でも、遊具のある公園とない公園。
どっちがマシでしょうか?
本当の理由は
交通事故が起きてもクルマはなくなりません。
人身事故があっても電車は動き続けます。
サポーターが暴走してもサッカースタジアムは今日も営業しています。
事件があってもアイドルグループは握手会をやめません。
「公園の遊具は金にならない」という側面もあるんじゃないかなと邪推してしまうワケです。
結局は一部の大人の都合。
振り回されるのはいつだって若い世代です。
まあここで騒いでるだけで具体的に何か対策をしたわけでもない僕も、何も言えないのかもしれません。
せめて、次の世代に胸を張っていられるような人間でいたいなって思います。
今も、公園の横を通るとなんだか寂しい気分になります。